司馬遼太郎 街道をゆく 32 阿波紀行・紀ノ川流域

司馬遼太郎 街道をゆく 32 阿波紀行・紀ノ川流域
 1988年4月~8月 週刊朝日連載
 この巻前半、阿波の国は題材が豊富。まずは淡路島から。淡路は江戸時代蜂須賀家の領地だった。蜂須賀家から淡路を預かった稲田氏は、小六の同輩だったらしいが、明治の廃藩置県では士族扱いされず、明治3年にかなりの流血を伴う稲田騒動がおきた。

 明治政府や大学などの招聘を拒否し、徳島で医は仁術を実行した幕末の名医「関寛斎」。テグスの利用による一本釣りを広めた堂浦の漁師たち。第1次大戦時のドイツ人捕虜たちとの交流。阿波を拠点に5代も京にいながら天下人になれなかった三好氏の話。藍染めの手法を確立した藍師たち。京のフリュウ(風流)から影響を受けた阿波踊り。古い町並みが残る脇町。

 吉野川沿いに進み池田では、三好氏につながる小笠原氏と孫子の兵法にいう衢地(くち)について考える。屋島の合戦で敗れた平家の一隊が土着した祖谷の地。一種の農奴である「名子」が明治までのこっていたとのこと。祖谷地方の谷にかかるかづら橋。

 後半は紀ノ川流域(和歌山県)。まずは、根来寺。高野山から追放された「覚バン」により始められ戦国期には大勢力になったものの、天正13年(1585年)秀吉に攻められ炎上。ネゴロは、木地屋集団の地形の呼び方からきたと考える。根来塗り(漆器)の話。覚バンは新義真言宗で、空海の密教に浄土思想を加えた。種子島への鉄砲伝来時に根来の杉乃坊代表者が種子島で鉄砲を取得し、持ち帰り製造を始めた。 藤堂高虎が築いた和歌山城。紀州の地侍連合の「雑賀党」と雑賀鉢(兜)。 天皇家、出雲の千家氏とならび日本最古の家系とされる紀家。

2018年1月

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