中国・明の時代初期(15世紀初頭)に、大小200隻の船と27,000人の乗員で、東南アジア、インド、アラビア、アフリカ東海岸まで7回も大遠征をした鄭和(ていわ)について、NHK特集で見ました。90分の2回番組でした。
鄭和は、ポルトガルやスペインが大航海時代を迎える半世紀以上も前に、アフリカまでではありますが、規模的にははるかに大きな規模で、大航海を行ったようです。
彼の目的は、中国の伝統的外交政策であった朝貢貿易を促し通商を広げることでした。そしてその目的はある程度達成されたようです。
しかし、大船団をたびたび送り出すことは、費用がかかりすぎて他の役人から疎まれてしまいます。しまいには、7度の大航海の公的記録も廃棄され、中国の歴史からも抹殺されてしまったのでした。
この鄭和が、改革開放政策を推し進め、再び大繁栄期を迎えている中国において、歴史の彼方から、よみがえったのです。そして、現在、鄭和は繁栄する中国の貿易を象徴する存在に祭り上げられているようです。
それはともかく、ヴァスコ・ダ・ガマや、コロンブス、マゼランなどに先駆けて、空前の規模の大航海を成し遂げた鄭和の功績は、もっと評価されるべきですし、その再評価を通じて、このころすでに存在していた東南アジア、インド、アラビアの平和的交易世界の歴史が再評価されるべきでしょう。
この鄭和は、何と漢民族ではなく雲南省のムスリム(イスラム教徒)で、幼い時に明軍に拉致され、宦官として明に使えていたのです。大航海に当たっては、当時すでに豊富な海運知識を持っていたイスラム教徒を利用し、漢民族との調和をはかりながら、大船団を統率していたようです。
その後、大航海時代を迎えた西洋キリスト教国はそれぞれ自国とキリスト教の繁栄を目的に、他の独自の歴史を持っていた国々を植民地化し、簒奪していきました。
その国の歴史と秩序を尊重し、平和的に通商を広げようとした鄭和の航海に比べると、その違いに唖然とします。鄭和が見直されているのは当然のことだと思います。
時を同じくして、鄭和の大航海の目的地ではありませんが、我が沖縄は、琉球王国として明との朝貢貿易を行い、短い繁栄を謳歌していたのでした。