コンスタンティノープルの陥落

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コンスタンティノープルの陥落  あまり記憶力はない私ですが、なぜか東ローマ帝国が滅んだのは、1453年とはっきり覚えています。

 かのローマ帝国が395年に東西分裂後、東ローマ帝国は、ビザンチウム(コンスタンティノープル、イスタンブール)を帝都として、それから1,000年以上も続きました。

 しかし、帝国末期はどんどん領土が減り、東にイスラム教勢力のオスマン・トルコが成立すると一段と勢いがなくなり、ついには、コンスタンティノープルだけが残りました。

 この本は、帝国の最後、オスマン・トルコ軍に攻撃された帝都コンスタンティノープル陥落の様子を再現したものです。
 
  実際にその当時コンスタンティノープル陥落に立ち会った人たちが、陥落後生きながらえて、回想録などを残しています。作者はそれらを元に、陥落時の様子をローマ側、トルコ側双方から、生き生きと再現しています。

久しぶりに読みながらわくわくしました。この本はお薦めです。

 これを読む前に、NHKで放送されたビザンチン帝国特集を見ました。イスタンブールにあるアヤ・ソフィア大聖堂や、ベネツィアなど各地に残るビザンチンの遺産、当時から今なお続いているアラブ半島のギリシャ正教修道院、現在のイスタンブールやギリシャの人々のビザンチン帝国についての意識、そして今なお残るトルコとギリシャの争い(キプロス島)。

 また、旧ユーゴスラビアにおける宗教・民族対立の根本には、ビザンチン帝国の滅亡にいたる歴史が深く関わっていることなど知りました。

 東ローマ(ビザンチン帝国)は滅びる直前、西欧ヨーロッパ世界に救いを求めたが、腰の重い西欧諸国の状況と、情報の遅れにより、結局は救援は間に合いませんでした。
 その後、西欧諸国はその重いツケを払わされることになるわけです。

 泥沼状態のパレスチナ情勢、イラク情勢と重ねると、キリスト教世界とイスラム教世界の対立の根深さをつくづく感じます。

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