太平洋戦争中の戦闘で、現在も日本領土であるところで行われた戦闘としては、沖縄戦と硫黄島の戦いが代表的なものと思います。
硫黄島は、最近注目を浴びてきています。理由は、やはりクリント・イーストウッド監督の映画「父親達の星条旗」、「硫黄島からの手紙」。
太平洋戦争中唯一、米軍側戦死傷者数が日本軍を上回った戦闘で、日本軍はそれまでの突撃だけの無駄死に戦闘をせず、陣地を有効活用した本来の防御戦闘を繰り広げ、米軍の占領を1ヶ月食い止めた。
その日本軍守備隊最高指揮官がこの栗林忠道。
騎兵出身でアメリカ通だったという、異色の人間です。戦い方も今までと違った。クリント・イーストウッド監督もこの事実に興味を持ち映画化したようです。
こういう人が、日本軍全体の最高指揮官であれば太平洋戦争も別の戦い方になっていたのでしょうが、残念ながら「坂の上の雲」の明治時代ならともかく、大正以後は、このようなタイプの人は、あまり出世できなかったようです。
しかし、この本の限界は、栗林中将を褒め称える本であるということで、その後の残存日本兵の悲劇については、あまりふれていない。
もちろん、彼にはどうしようもなかったということでしょう。しかし、このことに触れなければ、硫黄島の状況をすべて記述したことにならない。
司令官栗林中将は、昭和20年3月26日に最後の突撃で戦死したことになっているが、そのころまだ何千名規模の日本兵が地下陣地で生きていたらしい。
その後何ヶ月も地下にこもっていてかろうじて生き残った兵士の話がNHKで放送されていた。
残った兵士は、降伏できないので地下陣地から出るに出られず、結局米軍の攻撃や飢餓・傷病でずるずると亡くなったらしい。
この降伏禁止という考え方、いったい、いつごろから日本軍がこのようなことになったのか、いつか考えてみたいと思っています。というのは、これこそが沖縄戦における住民集団自決の原因だと思うからです。