潟のみち。今の新潟市の海岸沿いは、いわゆる潟だった。人々は、潟の中に稲を植え、わずかに盛り上がった土地に家をたてた。
昭和30年代まで、潟の中の水田地帯が残っていて、「肩」まで水につかるような農作業があったらしい。
そのように苦労して作り上げた水田だが、明治の地租改正による現金払いの税金を払えないことから、土地を大地主に安く譲って小作になった。生活はどんどん苦しくなった。ついに大正年間に大規模な小作争議が起こったそうだ。
播州揖保川・室津みち。兵庫県の西、揖保川沿いを一宮から龍野市、室津の港まで旅している。
龍野市は三木露風の生地で童謡「赤とんぼ」の舞台だった。室津は、遣唐使の時代から江戸期の参勤交代のまで、瀬戸内海のなかでの賑わった港だったらしい。何となく懐かしさが漂う旅である。
高野山みちは、真田幸村が一時住んでいた九度山から高野山へ。諸国を回り空海信仰を広めて歩いた高野聖について詳しく解説し、高野山の発展に寄与したとしている。
私もグーグルストリートビューで高野山まで旅してみた。人の寄りつかない山奥だとばかり思っていたら、「高野山」自体は、観光地でたいそうな町だったのでびっくり。
信州佐久平みちでは、千曲川沿いを旅し、周辺に起こった諸豪族のルーツ、木曾義仲、真田家、一遍上人、平安時代の馬牧場(御牧)について考える。松本までは行ったことありますが、このルート沿いは一度ゆっくり旅してみたい。