城塞

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城塞  司馬遼太郎の「城塞」を読みました。戦国4部作の最後だそうです。

 関ヶ原が終わり、100年も続いた戦国時代が終わりを告げるころ、徳川家康が政権安定のため、豊臣家を滅ぼす大坂冬の陣(慶長19年、1614年)、夏の陣(翌年)を描いた作品。

 家康は、徳川幕府が不名誉な評価を受けないために、有名な「国家安康」の鐘の文字や、豊臣家内部の切り崩しなど、あらゆる手段を講じて、豊臣家から戦をしかけるようにして、ついにその目的を達成。

 ヒステリー症状だったという淀殿、その過保護な育て方のもと、全くといっていいほど大阪城から出なかった秀頼。家康は大阪城内部にたくさんの内通者を置き、情勢を探りながら、慎重に作戦を練った。対して豊臣家では淀殿とその取り巻きは、情勢判断が全くできず、簡単に家康に操られて戦に入っていく。 

 それでも冬の陣では難攻不落の大坂城にこもり、ほとんど損害もなかった。そのまま籠城していれば何らかのチャンスがあったかもだが、家康の策略にはまり簡単に和睦してしまい、外堀やその城壁などをすべて取り壊されてしまう。

 夏の陣では、真田幸村や後藤又兵衛など有名な武将が果敢に戦うも、圧倒的な兵力差には勝てず、散っていく。この本を読むまでは、淀殿らの最後は天守閣炎上の時と思っていたが、実は、最後まで家康の情けを信じて、横の倉庫に移動して立てこもっていたそうだ。もちろんそこで最後を遂げるのだが、戦国時代の幕引きとしては情けない。

 上・中・下3巻のこの本は、豊臣家を追い詰めていく、徳川家康のしたたかさ、賢さ、すごさが印象的でした。このような人間は日本人にはあまりいないような気がします。今までは判官贔屓で負けた豊臣家に同情していましたが、250年も平和を維持できた徳川体制は、ある意味すごかったのだと思います。

 また、豊臣家がヒステリーの淀殿に操られて滅亡した過程は、日本が太平洋戦争に突入し、無謀な戦いを繰り返して、最後に広島・長崎への原爆投下で降伏するまでの状況と似ているとも言え、考えさせられました。

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