街道をゆく18 越前の諸道

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街道をゆく18 越前の諸道  週刊朝日1980年12月~1981年6月連載。古代の福井地方から新潟地方は「越」(こし)の国と呼ばれていた。6世紀初頭の継体天皇はこの越前地域(今の福井県)の出身で、地方豪族のようなものだったが、天皇家の血統が絶えたため、請われて天皇になった。

 曹洞宗の開祖道元とその弟子寂円の関係。あくまで禅の本質「只管打坐」を追求し、栄達を嫌った道元。だが、寂円を除く弟子たちは、叡山のような大伽藍をめざした。結果曹洞宗は日本一の末寺を有する大教団となったのだが。その曹洞宗の本山永平寺は、今や観光客が押し寄せる場所となっている。

 平家物語の冒頭を飾る白山衆(平泉寺)と、叡山の僧兵たちの京都への侵入。仏心を忘れ農民たちを搾取する側になってしまった平泉寺僧兵たちの滅亡(一向宗の門徒たちに滅ぼされる)。再建された平泉寺の苔むす境内(表紙写真)は素晴らしい。

 大野城を築いた戦国の武将金森長近の話。織田信長が滅ぼした戦国大名朝倉家の一乗谷城、今回ネット検索で初めてその位置や風景を確認した。現存最古の天守閣のある丸岡など。

 柴田勝家の北の庄城は、「北」と言う文字に悪い意味があり、勝家が滅んだりしたので、江戸時代になって松平家が福居と改め、その後福井になった。

 越前地方は、米も多くとれ、さらに紙、漆、鉄器、窯業も盛んな恵まれた地域だったようだ。福井市の西南、丹生地域の丹生は、砂鉄などを吹くんだ赤土のことらしい。つまり、丹生ということばを含む地名は、製鉄関連と縁があるらしい。

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