週刊朝日1981年7月~1982年3月連載。19巻目は中国への旅1回目。古い時代に日本とつながりが深かった江南で、そのつながりを考える。通常このシリーズは200ページ前後が多いが、本巻は343ページあるので、内容がとても豊富だった。
江南は、いわゆる揚子江下流域の江蘇省とその南の浙江省。有名な蘇州は、春秋戦国時の呉国の都。市内の水路、白壁煉瓦と漆喰の民家のたたずまい。シックイは石灰とも書き、ソックイと聞こえる江南の発音とのつながり。
越が攻めて来る、と呉王夫差に諫言して、死を与えられた伍子胥(ごししょ)。呉の読みで「ご」と「くれ」の違い、日本書紀において「くれ」と読ませるのはなぜか考える。
江南地方は春秋戦国のころまでは異民族的な文化の地域だった。楚の項羽が劉邦に負け漢が中国統一したあと、この地は漢文明のるつぼの中に入り、六朝時代(3世紀から6世紀まで)には中原から漢民族がこの地に南下してきて本格的に漢文明の地になった。日本は江南にあった六朝文化→百済→倭という文化の流れの中で漢字の発音は当初呉音となった。月の読み「がつ」は呉音、「げつ」は漢音 蘇州は絹織物の名産地。呉服の名称との関連。
杭州では、蘇州にはなかった防火壁としての「うだつ」が民家にはあったこと。杭州は南宋(1127~1279)の都(臨安)。宋代は商品経済が大きく栄えた。臨安が通称で行在(あんざい)と呼ばれた理由と、行のよみにアンがある理由(行灯)。 岳飛(1103~1141)の廟、秦檜と岳飛の関係、日本軍国主義教育の中で果たした宋学の影響など。
杭州郊外の竜井(ロンジン)茶畑を見ながら、茶の歴史を考える。「茶」という字は、比較的新しく唐代にできた。英国が中国から茶を買うときは銀で払い、銀の払いすぎをアヘン貿易で取り戻したこと。モンゴル人と茶のつながり。急須は本来酒燗の道具だったが日本で茶の道具になった、キビショとよむ語源は福建の読みから。海嘯現象が起こる杭州湾の塩官鎮。
魯迅が生まれた紹興。最澄が日本への帰りがてらついでに寄った越州(紹興)の竜興寺で密教を筆授したこと。有名な会稽の恥、臥薪嘗胆と会稽山。紹興酒の里で、酒をもる器(爵)と、日本の華族制度の名称のつながり。
唐・宋のころ明州と呼ばれた寧波では遣唐使時代の日本とのつながりを特に考える。大仏再建に力を尽くした重源と陳和卿。ジャンク船(戎克)の技術を考える。道元が学んだ天童山の伽藍など。