今からちょうど70年前、1945年3月10日は土曜日だったようだ。B29の大編隊による東京への焼夷弾爆撃で10万人といわれる死者を出し、区部の東半分、面積で1/3以上が消失した。
1945年1月に爆撃責任者となったカーチス・ルメイはそれまでの工場狙いの爆撃から一般市民を対象とした無差別爆撃作戦に変更。とにかく火災に弱い日本家屋の弱点を最大限に利用する爆弾を使い、低空爆撃、風向など爆撃法も残虐な結果をもたらす方法を工夫した。
中国の宣伝色の強いいわゆる南京大虐殺とは違い、明確に大虐殺といえる。日本政府は後年この虐殺を主導したカーチス・ルメイを航空自衛隊創設に功績ありとして叙勲したのだから、情けないかぎり。