第2巻は韓国。1971年7月~72年2月にかけて週刊朝日に連載されたものをまとめたもので、日本国としての基礎を作り上げる時期の朝鮮半島南部との交流と、秀吉の時代の朝鮮出兵に焦点が置かれています。
任那や百済、新羅など中・高校時代に学んだ地名が出てきます。うろ覚えに任那(今の金海)は日本の「植民地」のようなものと思っていて、そんな時期に朝鮮に領土があったなんてすごいことだと感心してました。今考えてみると、国としての体裁が整っていない時期に、植民地もないだろうと思います。
司馬遼太郎は、任那は「古代朝鮮人もしくは古代日本人が「倭」という人種名でそこに土着し」ていた土地であるとしています。いずれにしても古い時代に朝鮮半島南部と北九州あたりの交流があったことは間違いないわけです。
百済の首都「扶余」のその後や、歴史に残る白村江の戦い(663年)の経緯なども触れられています。それだけでも大変興味深いのですが、百済側の武将だった鬼室福信という人の一族で、百済滅亡後日本に渡ってきた鬼室集斯(しゅうし)という人の墓が、滋賀県蒲生郡日野町小野に残っていて、今でもまつられているということに感動しました。
時代は下って、悪名高き秀吉の朝鮮出兵時に、兵3,000名とともに、朝鮮側に戦わずして降伏し、逆に日本側と戦った武将がいたとのこと。この武将(記録では沙也可)は、李朝朝鮮の重臣となり、金忠全という名前で活躍した。こちらも彼の一族が大邱の南の友鹿洞に存在しているそうです。
つくづく歴史の重みを感じた本でした。
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