第3巻は週刊朝日1972年2月から9月まで連載。まず、「陸奥のみち」として、八戸、久慈など東北地方太平洋岸を陸奥湾までたどる。
旧南部藩の領地は、鎌倉時代初期に甲州から移ってきた(流れてきた?)南部氏が八戸を拠点に他の地域を征服してできたらしい。南部藩は盛岡が中心地となったが、そこから八戸藩が分かれた。
また、弘前の津軽藩は、豊臣時代に南部領から独立したらしい。
このあたりは冷害が激しいため、たびたび飢饉に悩まされた。安藤昌益の農本共産主義思想など極端な考え方を生んだりした。
司馬遼太郎は、米作を中心に据えた日本(江戸時代)の不思議さに思いをめぐらす。たとえばこの地域で牧畜は考えられなかったのか?
「肥薩のみち」では、西南戦争の激戦地田原坂から球磨、人吉を通って薩摩に至る。関ヶ原で負けて、鹿児島に逃げ帰った島津は、国境を閉ざし幕府隠密を入れさせず、薩摩は江戸幕府も手を出せない半独立地域として存在していた。
半独立の陰には、「切支丹停止」と同じように浄土真宗も停止(ちょうじ)と弾圧、武士の数が他の藩よりも多いことによる農民搾取などがあります。司馬遼太郎は触れていませんが、琉球王国の占領もあります。
しかし、明治時代に武士の特権がなくなり、西南戦争にも負けた薩摩は、ついに中央集権体制の中に完全に組み込まれてしまった。
「河内みち」では、水郷地帯であった河内を江戸期の土木工事により干上がらせて農地になった経緯。これは徳川幕府の功績であるとしている。地域の富農であった中甚兵衛が土木工事実施について40数年間も私財をなげうち幕府に陳情してきたというのもすごい。
他に、江戸末期最大の仏教学者だった慈雲尊者が開いた真言宗の律院(修道院のようなところ)である高貴寺のこと
高校野球でしか知らないPL教団の本拠地があること。その当時はゴルフ場だったらしい。
大ヶ塚(だいがづか)という自衛能力をもった集落の存在にもびっくり。豊臣末期に盗賊グループを撃退したことなど庄屋五兵衛の記録が残っているらしい。この記録がまるで黒澤明監督の時代劇のようでおもしろい。