第4巻は、週刊朝日1972年10月~1973年5月まで連載。洛北諸道、郡上・白川街道と越中諸道、丹波篠山街道、堺・紀州街道、北国街道とその脇諸道と、近畿・北陸のみちです。
「洛北諸道」では、江戸中期に現れたスタスタ坊主(願人坊主)、鞍馬寺と関係があったらしい。また山伏の行う呪術(法)で火の玉が浮かび上がったのを見たことがあるなど。
大悲山峰定寺(ぶじょうじ)という寺をたてた鳥羽天皇(上皇)が歴代天皇中、一番自分勝手なことをしたらしく「悪王」であるが、中国や西洋の王様から比べると可愛いものだとしている。
幕末に山国郷に隠れ地下工作を行っていたらしい長州人「河内山半吾」のこと。その山国郷にある北朝の光厳天皇など3代の御陵のこと。とくに後土御門天皇という人は、応仁・文明の乱により、悲惨な宮廷生活だったらしい。
しかし、室町末期におけるなし崩しの中世的諸体系の大崩壊こそ(フランス革命に相当する)社会革命に相当するものだったかしれない、としている。
「郡上・白川街道と越中諸道」では、郡上八幡の領主だった歌人東常縁(とうのつねより)が、歌を贈ることによって、奪われた領地を取り戻せたという逸話が印象的。
白川谷では、今昔物語に出てくる、猿の生け贄にされそうになった僧の話。富山県側の五箇山地区の村上家が天正6年(1578年)建造ということで、「この民家をつくった大工たちは、織田信長と同じ時代の空気をともに吸っていたということになる」という感想が印象に残りました。
「丹波篠山街道」では、明智光秀の居城亀山に本部をおいた「大本教」の弾圧。弾圧を指示した検事総長の平沼騏一郎は、官吏でありながら、右翼団体「国本社」の総帥であったというでたらめさ。昭和10年当時はそれが許される時代だった。
京都の近くであったことから江戸時代戦略的にこの地域には、2,3万石の小大名がおかれていたこと。篠山城主の青山家が、藩邸がおかれていた東京の青山の地名に残ったのみ。
立杭(たちくい)という焼き物の里。
「堺・紀州街道」では、大阪夏の陣(1615年)で焼き払われた堺の当時に思いをはせる。中世末期に自由都市として栄え、中国、東南アジアに光芒を放っていた当時をしのばせる姿はのこっていない。
「北国街道とその脇海道」では、琵琶湖の西岸の海津から敦賀までを最初にたどる。渤海国との朝貢貿易や、幕末の水戸天狗党の最後の様子など。
木ノ芽峠という難所にかけて、越の国(北陸3県)出身の継体天皇や、柴田勝家と秀吉の争いなどが紹介されています。
P.S.
敦賀市のホームページを見ると、今は松本零士のアニメキャラクターが通りを飾っているらしい。
コメントする