司馬遼太郎が考えたこと(1)

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司馬遼太郎が考えたこと1

 司馬遼太郎のエッセイを集大成した「司馬遼太郎が考えたこと」のシリーズ、ようやく(1)を読み終えました。私が生まれる前に書かれたものから、昭和36年までのエッセイが収められてます。
 歴史物や、出身地の大阪に関するものなどいろいろおもしろ話がありますが、印象に残ったのは・・・。

(1) 「別所家籠城の狂気」
 秀吉が籠城戦で苦労した播州三木城の籠城経過など。マキャベリズムが当たり前だった戦国時代において、潔癖すぎるほどの忠誠心で籠城戦を戦った城主や部下たち。落城後、落ち延びた侍の子孫にその潔癖さが受け継がれ、後の浅野内匠頭や赤穂浪士につながっているとの指摘。

(2) 「剣豪商人」
 幕末の伊予宇和島藩で、免許皆伝の剣の腕前を持ちながら脱藩し、大阪に出て、高利貸しの手代や武家と商人のもめ事仲裁屋、明治政府の役人を経て、最後は大阪財界の重鎮になった「土居通夫」という人を描いたもの。
 たった10ページだが、司馬遼太郎が書くと、立派な伝記になっている。

(3) 「生きている出雲王朝」
 題名からしておもしろそうだ。古代出雲時代から代々その子孫にうけつがれてきたという「カタリベ」の話。島根県では当時(昭和36年)地方新聞の年賀広告に知事と並んで、古代の地方長官である「国造」(クニノミヤッコの肩書きを持つ人の名前が大きく掲載されていたらしい。
 私は日本書紀や古事記といった神話時代については、からきし?ですが、こういう話を読むと少しは勉強したくなりました。

 他にも、「家康について」、「僧兵上がりの大名」、「我が愛する大阪野郎」など、なかなかおもしろく読めました。この随筆集は15巻あるそうです。私もすでに6巻まで購入済み。

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このページは、が2006年2月 5日 21:12に書いたブログ記事です。

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